なぜと思わない症候群
何故と思うことってすごく重要だと思う。
どっか職場で、「筋肉って動かないと全部脂肪に変わるんだよ」と言われたことがある。
筋肉はアミノ酸からできてるわけで筋肉と脂肪ではそもそも原材料が違う。
まぁ問題はそこじゃない。これはたまたま自分が知っている知識で、相手が間違っていると認識しできただけの話。まあ自分の知識は間違ってないのかと言われるとそこはまた問うべきかもしれないけど。
SNSの情報に踊らされるな!とか知識人は言うけど、知識人はそれは嘘だと見抜ける話が多いからそれを信じている人を下に見て馬鹿にしてるだけ
でもその人だってきっとまちがった知識を信じていることはあるはずで、正直50歩100歩だと思う。
ここで大事なのは、何故?と思うことそのものであって結果的にその知識が正しいのかは二の次だと考えてる。
自分だってYouTubeの情報は鵜呑みにしないようにはしている。そうは言いつつ、この人が言ってる奴は参考文献も載ってるし正しそうだとか思ったらそれ以降の情報に疑問を持たずに鵜呑みにしてしまう。別な参考文献まで下がってるわけではないのに。
羊の毛を刈ったらヤギになると小さい頃、父親に教わり、大学まで信じていた。しかも生物系を学んでいたのにも関わらず…
ゼミのみんなに馬鹿にされて初めて間違いに気がついた。
21にもなってその知識信じて疑わなかった結果だ。んでおそらく父親は自分をからかってそのような嘘を言ったんだろうと思い、家に帰ってその話をした。
父親は驚いていた。「羊とヤギはちげーのか!」って。きっと父親も誰か信頼にたる人間に教わったのだろう。50後半にして羊はヤギではないことを知った父を見て哀れに思った。
だから何故と問うことはとても重要だと思う。
何故を感じないと言うことは世の中の情報を全て鵜呑みにすると言うこと。
これは情報だけではなく、自分の行動すらも左右する。こうしろあーしろみたいなことを言われたままやっていくこと。何故と疑問を持つことを放棄することは人間らしく生きることを放棄することなんじゃないかと思う。
人間の脳みそは世の中の情報を関数的に処理する機会だと捉えるとすごく無機質な印象に受ける。だから何故と思うことで自分は有機的であり唯一存在なんだと実感することができる。
受動意識仮説みたいなことは一旦置いておいて、いやあの仮説が正しかったとしても、私は今後も様々なことに問い続け、人間であると実感し続けたい。
但し、そんな生き方をしてきたからこそ、人間らしさを実感できない瞬間がある。
それは著しく感情の起伏や素直さがなくなったこと。いわゆる捻くれ者になってしまった。
UFOや妖怪でテンションが上がっていた小学生。こえーとかすげーとか、あれは何故と思わないからこそ湧き出た感情じゃないかと思う。
都市伝説とか超好きだったし、マヤ文明はとうもろこしで宇宙に行ったと信じてた。
テレビがめちゃめちゃ面白かった。結局台本通りだろうみたいなYouTubeのコメントになんで野暮なんだと突っ込みたくなる。やらせだと思うことさえなければ、おそらくコンテンツは100倍面白く見れるはずなのに。
何故と思わない症候群はむしろ人間らしさを作っているのかもしれない。
何故と思うべきか思わぬべきか、これは場合によって違うことで0か100かではないかもしれないけど、共存もまた難しい。
なぜ、なぜと思うべきなのかについても考えていかないとな。
自分はなぜと思いすぎる症候群なのかもしれない。
モグ日記
最近、忙しすぎて全然更新できてないけれど、ネタは色々頭にあって、
まあかけるときに書いてるので忘れてるわけではない。
辞める時はもう疲れましたやめます!っていうのでその時まではチェックお願いします。
この前友人の結婚式があって、そのときに、ブログ見てるよって二人くらいから言われたので、ありがたいなぁと思いつつ、大学の時に始めたブログを覚えてくれてる謎のヘビーユーザーがいてくれるので、若干気持ちよく書いている今日この頃。
さて、妻が突然フグを買ってきた。ミドリフグというらしい。
名前は買う前から決めていたらしく「モグ」というらしい。
私はフグと呼んでいる。
正直意思疎通の取れない動物を飼う意味がわからない。
懐くわけでもないし、ましてや魚なんて飼っても永遠に漂ってるだけで、何がいいのかよくわからない。
しかもこのフグ、なんとなく顔がムカつく。鳥山明が書いたモンスターみたいな顔して、常に半ニヤケなのだ。
妻が、モグに隠れ家を作ってやらねば!と土管のようなものを購入しただが、一向に入るそぶりはなく、ジャイアンポジションで、土管の上に佇んでいる。結構アホだ。
ある時妻から、今日は帰らないからモグに餌あげといてと命令が下り、仕方なくフグに餌をあげることにした。
水槽の横を見ると赤虫とエビがあった。
どっちがいいのだろう。
妻に聞けばいいのだが、そもそも私は赤虫を食べたことがないし、多分おいしくもない。エビは好きでよく食べるし、エビをあげることにした。
エビを見るやいなや、ふぐは全くエビに興味を示さない。
やばい、餌をあげなきゃ妻に怒られる。このフグが餓死しようものならなにを言われるかわからない。世の中にあるすべての罵詈雑言を集めたような言葉を四六時中聞かされる羽目になる。
最悪証拠隠滅のためにと、cookpadでてっちりをしらべはじめたとき、おそらく私の念が伝わったのだろう、こっちを向いて、動かなくなった。
お!俺の邪念が届いて屈服したかと思った矢先、ふぐがうんこした。
すんごい腹立つ。
なるほど、人を苛立たせるには真顔で近寄り脱糞すれば良いのか。まさかフグから新たな知見を得られるなんて、フグも捨てたものじゃない。
今度私も、なんかムカつく奴がいたら積極的に近寄って脱糞してみることにしよう。
それはさておき、釣りをする時はルアーを生きてるかのように動かすのがコツだと聞いたことがある。
幸い水槽には水が巡回しているところがあり、そこにエビを投げ入れることで、水流によってエビが沈み、水槽を漂わせることができる。
ものは試しでエビを水流の下に入れてみると、めっちゃ食った。すげー食った。
めちゃくちゃもぐもぐしてた。
このフグの名前は今度からモグと呼ぼう。とにかくモグに餌をあげることができた。
次の日妻が帰ってきてからというもの、妻が餌をあげている。
私の方が餌をあげる方がうまいはず。私ならエビを踊らせることができるし、エビぐらい私も踊ることができる。
踊る髭マッチョをつまみにエビを食うことができるのだ。こんな幸せなことはないはず。
もし次餌をあげる許可が降りたら次は是非とも赤虫の舞を披露しながら赤虫を水槽で踊らせて食べさせてあげたいものだ。
あと、二度とてっちりは食べないことにした。特に意味はない。フグ料理は悪だ。フグ料理を食べる時は、是非とも我が家のモグの顔を思い出して欲しい。
モグよ、これからもよろしく。
キャンプはいいぞ
この文章を見終わる頃に3割の人はキャンプに行きたくなるでしょう。
私はキャンプが好きだ。こんなタイトルをしておきながら年2~3回くらいしか行かないし、別にキャンプのプロでも何でもない。キャンプの道具に詳しいわけでもない。
だからキャンプに行く人にとって見れば釈迦に説法、馬の耳に馬語みたいな話。
でも、回数は少なくたって別にキャンプを語ってもよいじゃないか。世の中はプロレベルのコンテンツに溢れすぎている。別にいいのよ。プロじゃなくたって、月5回キャンプ行かなくたって。
ってことで、キャンプ素人の自分がキャンプの良さについて語っていきたい。
キャンプの良いところその1~森林でハンモックの上で虚無れる~
私の仕事はめちゃくちゃ忙しい。残業時間で言えばまぁ実質150~200時間くらい。
空いている時間もいろいろやることはあって、その隙間時間に趣味を行っている。逆に言えば空いている時間は何かしていないとという強迫観念にかられて落ち着かない。
そんな時は森で虚無るに限る。
テントなんて正直適当でいい。テントたてて、ハンモックで寝る。無駄なものはもっていかない。俗世から離れ、リラックスをする。何も考えない。脳をリセットする。ここはどこなのか、私は誰なのか?お前は誰で、あれ?今なんでブログ書いているんだっけ?ん?あぁ。
キャンプの良いところその2~焚火を見ながら虚無れる~
毎日同じことの繰り返し、社会の歯車としてこの世の中を循環させていく。毎月ほぼ同じような給料をもらい、多少なりとも遊び方の違いはあれど、記憶の中では娯楽という大きなくくりで残り、引き出されることがない限りは一生頭の隅に埃をかぶりながら眠り続けるだろう。そんな毎日を過ごしている中で、焚火の日だけは、常に不規則で、予想ができない動きをする。規則的で機械的な冷え切った心を不規則なぬくもりが包んでくれる。僕の心はブラウン運動
キャンプの良いところその3~星を見ながら虚無れる~
自分が好きかと言われれば私は自分が大好きで、それは世界で唯一操作可能であるからだ。私の人生私が主人公。私にとって私はかけがえのない私である。自由に操作可能な人生のはずなのにもかかわらず、仕事という不自由な時間に月の半分以上を浪費している。RPGが自由に思えて、ストーリー進行と違う道に行くと「今は寄り道はよそう!」と言われて戻される不自由な感じ。結果人生もRPGも定年後ないしはクリア後にしか本当の自由は訪れない。そこまで仕事に雁字搦めにされながらも、自分が世の中に与えている影響というのは地球規模、宇宙規模で見れば鼻くそ以下だ。宇宙というスケールの大きさと、無数の星々を見ながら何も考えず虚無になれば、すべての仕事が無意味に思え、どうでもよくなる。あぁーあ、優しいおじさんが5億くらいくれないかな。
まぁつまり、キャンプは素晴らしくて、めちゃめちゃ虚無れる!心も体も疲れ切ってどうしようもないときはあえてちょっと遠くまで行く労力と引き換えに、心身共にすっきりして、仕事に励むことができる!
もっと書きたいことはたくさんあるけれど、明日も仕事だからねるかな
え?日曜日だって?日曜日は神様が休むのであって僕らは、神様が安心して休めるように働かなきゃね!頑張ろう!
ファッションは誰のためだろうか。
仕事や、プライベートで大きな用事が詰まっていてなかなか更新できていなかったここ最近。家に帰るのが平均20時で、土日が何かとやることがあるせいで、じっくりまったりこうやって記事を書く時間がなかなか取れない。
あと最近すごくお腹が痛い。腹痛で目が覚めたりする。今もちょっと痛い。生まれつきお腹が弱いから仕方がないけど、にしても頻繁にお腹を壊す。
よくいるなぜなぜ坊主だった私は、母親になぜ雨が降るのか尋ねると、雨は神様のおしっこだと答えた。その日以来雨は嫌いだ。何かしらの天気が嫌いであるという決まり文句はもっとおしゃれな文面であるのが物語やエッセイの相場なのだけれど…私の場合は、雨は神の排泄物だと騙されたからである。もっとオシャレな理由がよかった。
そんな母に何でお腹が痛くなるのか聞くと、腹の内側には虫がいて、そいつがお腹に噛み付いているんだと言った。その日以来腹痛でトイレに行くと、虫を取るために9割5部の力で自分のお腹をしばき散らかしていた。腹痛のたびにトイレから「ぱあぁぁぁん、ぱあぁぁぁん」という爆音が響き渡り、家族もさぞ恐怖だっただろう。
さて、いい具合に本題から脱線したところで、本題に戻そう。
以前九州に行った際、自分の地域にはないブランドがあり、そこで柄シャツを2万円程度で購入した。だいぶ奮発した。その後古着屋でいい感じのサングラスを4000円で購入。
個人的にはとてもいい買い物だったが、それらを早速装着してみると、友人からガラが悪いと言われた。柄シャツの柄が悪いのか反省に欠ける見た目をしているのか、わかりにくい場面ではあったがおそらく後者だろう。
まぁファッションは自分さえ良ければいいしあまり気にしていない。
そう、ファッションで自分さえ良いはずなのだ。
男が理解できない女性のファッションランキング第一位はネイルだと勝手に思っている。でもあれは自己満足であって、「別にお前らに見せるためにネイルしてるわけじゃねーから」みたいな話。
私は髭をはやしているが、髭は圧倒的に自己満足で、女性ウケが悪いのは重々承知で生やしている。誰が何と言おうと、髭の男はかっこいいのだ。
ただ、私の髭に文句をいう人たちが多くいる。「髭やめた方がいいですよ」とか「髭嫌い」とか、私からすると心底どうでもいい。自分が好きでやっているわけだからね。
ただ一つだけ、気に食わない悪口がある。それは女性から「髭はモテないよ」と言われることだ。
ジェンダーの時代にこんなことを言うのはみたいなのは置いておいて、n=1の感想を女性という巨大な主語に置き換え話す時点ですごく頭が悪そう。また普通に貶しているのでめちゃくちゃ純粋に失礼ではないだろうか。
お互いファッションは自分のためであり、自己表現である。もしおしゃれでありたい。モテたいと思うのであればそん時はそん時でおしゃれでモテそうな服をきればいい。自分の着たい服とモテる服は一致するとは限らないのだから。
確かに服装は一番外側の内面というし筋肉は永遠に着続けるインナーである。服装に対して他者がどんな印象を持つかは自由だが、それに対してモテるモテないなどを相手に口頭で伝える行為はどこか稚拙に感じる。
そもそもモテるモテないを論じるのであれば、せめてモテるやつに論じていただけると納得もできるのだが、これまでそんな経験はない。
テレビ越しとか仲間内でプロ野球選手の技術についてあーだこーだ批判するのであれば、別に本人が下手でも上手くてもいいと思うけど、直接本人に指摘するのであればそれなりの実力というか、なんかそういうのは必要だと思う。
だから、私の髭にモテなさそうだなぁとか、仲間内であいつの髭似合わないよねーというのは勝手だけど、直接面と向かって、お前の髭はモテないというのであれば、お前はモテるのか?問いかけ直したくなる。
まぁ、ここまで顔を真っ赤にして怒っているということは、ファッションは個人のものだと認識しつつ、心に刺さってるということなので、皆さんはどうか髭の人間を貶すのは辞めてあげていただきたい。
以上 全国のヒゲを代表して、わたしより…
ルール・マナー・モラル
ふと大人になって考える。ルールとかマナーとかモラルとか。それぞれコトバンクさんやらウィキペディアさんなどで調べてみると、
ルールとは決まりや規則のこと
マナーは人と人との関わり合いで当然その場でしかるべきとされる行儀・作法
モラルとは道理や倫理のこと
みたいに出てくる。
んで、マナーとモラルの違いについて調べてみるとモラルが善悪の判断など内的価値に深く関係する・・・マナーはより実践的な決まり・・・
なるほどなるほど
マナーがなっていない人っていうとなんか、名刺交換の際に・・・とか、高級な料理店とかでの作法を指しそうだから確かに実践的だな。
モラルがないっていうと、なんだろう、めっちゃ混んでるフードコートで本を読み始めるとか、ラットプルダウンの前で座ってめっちゃおしゃべりしてる人とかかな。ご自由にアメをお取りくださいタイプの飲食店で10個くらいアメ取っていくやつとか。
モラルって法的には何ら問題はないけれど、それに胡坐をかいて自己中心的なことをしたがる人って意味でもあっているかな。
モラルはさ、まぁ悪気なく生きていればある程度回避できそうだけど、マナーはいくら気を使っていても違反することってあるよね。
前に、脳科学者の池谷さんがちらっと言っていたことを使わせていただくと、、電車で老人が立っていて、新聞を読んでいるおじさんが座っていたとき、おじさんは老人に気づいていないのであれば不親切ではない。それはただ気づいていないだけ。もし気づいていて譲らないのであればいじわるであると。
そのとおーり!本当にその通り。
○○の時は普通○○していくんだよ。というマナーは生きていくうえで学んでいく。知らないマナーは守れない。こんなのあたりまえのことのはずなのに、人は自分が知っているマナーを他人が守れていないと、キレたり、マウントを取ったり、陰口を言ったり、蔑んだりする。そういうやつはマナー以前にモラルがないと思う。
ルールじゃないのであれば丁寧に教えてあげれば済むはずなのに。
だからマナーができていないからぶちぎれたりするのを見ると不快になる。
1年目右も左もわからない人が、ルールやマナーなどが分からなかったりしたら、気になるのであれば言う。社会人として伝える。でも伝え方には細心の注意を払う。別にパワハラを恐れているとかじゃない。大人になって指導をされるというのは相手のプライドを損なう行為だからこそ、こちらは慎重に言葉を選び指導する責務があると思う。
マナーそのものを批判しているわけじゃない。マナーがなっていないのは9割は知らないのであって、知っててあえて破っているわけではないということを踏まえて、親切に教えるというプロセスが必要であるということ。
ルールもマナーもモラルもまずは根本的な人への思いやりややさしさがもとになっているはず。そこを守ろうとするのであれば、守り方にも思いやりややさしさを込めないと、ダメな気がする。
つまり何が言いたいかというと、自分あんまりマナーとかよくわからんから怒る前に親切に教えてくださいお願いします。
マダニ・サウナ・それから私
出張があり、しばらく更新ができず、久々の更新。
ウィンタースポーツと登山はなんて位置エネルギーの無駄遣いとしか思っていなかったが、やってみると思いのほか面白いもので、登山もウィンタースポーツもたまにはいいかなと思っている。
登山の何がいいって、いろんな植物やきのこや虫を眺めながら、頂上を目指し、最後に絶景を拝んで帰る。仕事でも自然をよく取り扱うもので、なんだか、仕事と関係なく自然と向き合うのもいいなぁと感じる。
そんな風に思っていた私だが、つい先日マダニに刺された。がっつり頭が太ももに突っ込んでた。犬神家くらい突っ込んでた。
まだ大きくなっていなかったから対して吸っていなかったと思う。なんやかんや人生で初めてマダニに刺されたもんだから、とりあえず写真を撮った。
昔ビートたけしのホントは怖い家庭の医学でマダニがやってた時、マダニ=死 みたいな印象があって、小さい頃はトラウマだった。今はおぉ!俺にもマダニがやってきたか!スゲーという珍しさでめっちゃ眺めてしまった。ちなみにいまだにトラウマなのは鮮度の落ちたホヤの味と、ストーブの煙突。いまだにちょっと怖いもんね。
とりあえずピンセットで頭が残らないように取り除き、マダニを保存し、一応皮膚科に行って完了。あ、意外と取り除くにはコツがいるのでちゃんと皮膚科で取った方が本当はいいんだけど、状況的に厳しかったので、今回は自分で。
まぁ難なく終わってよかったですわ。出張もつかれましてね。そういえば、あんまり栄養ドリンクリポDとかエゾエースとか、アリナミンとかそういうの。あんまり飲んでなかったけど、あれってホントにきくね。ちょっと体力回復する。でもなんか命削って仕事してる気がするからちょっと怖いね。
昔、久々に友人と会ったときに、この職業マジでブラック!朝は7時にいくし、帰りは18時とか19時とか、遅いと20時になるのも全然あってやばいの!みたいな話を熱弁していて、ちょうど、その時、6時出社24時退社してた時期で、遠い目で「大変だね~それはつらいねぇ」って言っていた。
ヒトに何らかの自慢話をするときにはそれを超えているかどうかは入念にチェックしてから話さないと、なんて返事したらいいのかわからなくなる。仕事終わって何時ごろ家帰ってる?っていうジャブを入れてほしい。たまにとんでもないカウンターパンチくらって場外に吹き飛ばされる可能性あるから。
まぁまだまだ若いけど、ただ、さすがにね、疲労がたまるとリラックスもしたくなるもので、そんなちょうどいいタイミングで、前の同僚から温泉に誘っていただいて、行きつけのとある温泉に一緒に行ってきて積もる話をしながらだらだらと入っていたんだけど。
サウナで会話をしていたところ、「ここは黙浴の場なんで!」と怒られた。あまり大きい声で話していたわけではないけれど、申し訳ないなぁと思いつつ黙ってサウナに入っていた。
ただ、ただ、サウナって黙浴の場なのか?なんかサウナってだらだらと話しながら暑さをしのぐイメージがあって、むしろサウナでちょっとお話しするのが楽しみなくらいだった。田舎のサウナなんか行くと話しかけられたりして、一期一会を楽しんでみたり。
黙浴をルールとしているならわかるけれど、マナーというほど定着している概念なのか。いや騒いでいたり、めっちゃ笑い声でがっはっはくらいならあれだけど、多少なりとも雑談はいいんじゃないか?と思ったりする。もちろんその場で反抗したり言い返したりはしていないけれど。ちなみにもちろんだけれど、その温泉には黙浴というルールは書かれていない。
これはルールとマナーの問題であって、ルールは守らなければならないけれど、マナーは個人の価値観と偏見が含まれる。マナーに雁字搦めにされるのは窮屈だと感じながら、マナーが悪い人を見ると少しイラっとしたりもする。
まぁマナーについては今後どっかで記事にしようかな。とりあえず、すいませんでした。ともやっとした気持ちが入り乱れ、何とも言えない感情になったのでここで吐露した。
今日はめっちゃ寝たけど、まだ眠い。寝ますわ。
ふと人生について考える瞬間。
人生について考える。このままでいいのかな。これで後悔しないかな。とか。
人生後悔はしたくないとか思い残しがないようにとかいう人間を見るとすごいなぁ、と感じる。
どう考えたって死ぬときに後悔はするし、思い残すことはある。これだけは断言する。
だから何をかなえるかも重要だけど、何をあきらめるかが重要だと感じる。
例えばハンターハンターはあきらめた。暗黒大陸はなかったものにした。
転職はあきらめた、やりたい仕事はたくさんあるけど、追い求めたらきりがないから、今の仕事を極めることにした。
世界旅行はあきらめた。せっかく生きているこの地球、隅々まで景色や文化にふれてみたいと思ったけど、時間的にもお金にも厳しいからやめた。日本ぐらいにしておこう。
猫飼うのはあきらめた。アレルギーを克服することは難しい。ソフトクリームとカレーとココナッツのアレルギーじゃなかったことに感謝して生きることにした。
有名になることはあきらめた。昔は芸能人になったり、オリンピックに出たりして、最終的に顔面占有率66.6%程のサングラスをかけ、おしゃれなチェスターコートに長いモフモフのかたにかけて、パパラッチに変顔したいなとか思ったこともあったけど、プライベートのほうが大事だと言い聞かせている。
手に入るものよりも絶対に手に入らないものの方が多いから、ないものねだりするだけ人生はむなしくなる。
野生動物はほかの動物より自分が幸福かどうかを意識しているのだろうか。そんなことを考えるとこれは人間が文明や富を持ち始めた時点でおそらくそうなる運命だったんだろうとも感じる。
あ、話はそれるけど、私は人間至上主義であって、人間と動物は別物だなって考えている。
個人的には動物も人間も同じ命だ!平等だ!って思いたいものだけど、でも自分の本能というか、実際に起こしている行動がその意思に反しているので、人間至上主義からは逃れられないだろうと思い、仕方なく人間至上主義をやっている。だから能動的な思想ではなく受動的な思想であることには留意してほしい。
幸福度が高いピダハンは、他の技術を受け入れず、狩猟民族を貫いている。やみくもに文明を発展させないことが、実は幸福度の肝なのかもしれない。
そう考えると資本主義に生まれた時点で、人間はすべて幸福中毒であって、幸福に飢えるようにインプットされているのだろう。
すべての人間が今の生活に満足し始めたら、新商品を高い値段で買う必要はない。新商品を生み出すことに意味はなくなり、企業同士の競争がなくなった末、資本主義は終了する。
だから自分たちは幸福になろうとしなきゃいけない。最新のアイフォンを欲しがらなきゃいけないし、レクサスとかクラウンの一直線のライトを見て興奮しなきゃいけない。毎年更新されるビヨンドマックスを買い続けなければならないし、台湾だの韓国だのからやってくる、カロリー爆弾カラフルインスタ飯をあさり続けなきゃいけない。そんな毎日をブログやらインスタやらに乗っけて自分が幸福であるというアピールをしなくちゃいけない。んでそういう投稿を見て、うらやましくなって、自分ももっともっと幸福に!って思わなきゃ…
いや、なんか幸福ってチープだな。なんだろう。別に答えがあるわけじゃないけど、今日巣蜜を初めて食べた。うまかった。うまかったけど、思った感じじゃなかった。でもいいや。想定した幸福度にはいたらなかったけど。でもこんなもんだろう。
うん、ほどほどでいい。ゆっくり生きよう。幸福を感じないことに焦らない事にしよう。
いいね。なんかこの考えですこしほっとしている。